2014年6月28日土曜日

斎藤晴彦さん死去

ガーンです。
今夜は最高の昭和任侠伝、ロボット8ちゃんのバラバラマン

小林信彦氏のテレビ黄金時代から引用
<ヴァラエティ>とは、多様、なんでもあり、の意味である。<ヴァラエティ・ショウ>は
異質なものがぶつかることによって生じる面白さが狙いだ。
 1985年3月渡米記念「11PM」のぼくの部分の録画を終えたあとで、井原高忠が笑いながら
こう言った。「タレントがいないって、二言目には言うけどさ。三宅裕司って若い人と
斉藤晴彦でヴァラエティが作れると思うんだけどね・・・・
あっ、とぼくは思った。そういうことなのだ。
その言葉を最後に井原高忠は日本を去った。

このCDはテレビの企画(今夜は最高)から出来たものだと思うが
お金がかかっているとは思うのですがヴァラエティではなくて残念です・・
テレビのアレンジであと人もタモリと和田あきこのほうが全然良いです。
当時この会は賞をいただいたそうで2回放送されて1回目はたしか
1985年の2月ころ旅館のテレビで見て録画取れないのを悔やんでいたところ再放送
やってくれて家の何処かに録画が有ります。
この番組後、斉藤晴彦氏の出演したバラエティ、トーク番組他は多数ありましたが
残念ながらうまいこと使える機会?が無かったのが残念でした。




2014年6月25日水曜日

フィリップスの子会社MAGNAVOXから発売されたVLP(後のLD)が失敗後
パイオニアとアメリカのMCAとの合弁会社で参入、その後IBMも参入したが・・(盤の製造がうまくいかないMCAが支援を求めただけらしい。)その後パイオニア以外が離脱して
名実共にパイオニアが元祖のLDメーカーに、初代機のLD-1000(機能、映像、音声(アナログ音声のみ)今でも長時間ディスクで秒単位のタイムサーチが出来ない以外劣るところは何も無い)
は動作状態で実家に・・その後LD-7000フロントローディング機(半導体レーザー機)、CLD-9000(音声デジタルでCD・LDコンパチブル機)とか有ったが手元のDVD、LDコンパチ機DVL-9が出るまで買い替えなしできました。

β対VHSのようなVHD対LD規格戦争?見たいのがありましたが(9:1くらいでSONY以外はVHDへ)
ちなみにVHDは針で再生でレコードの生産システムがそのまま使えるというメリットがあるシステム
でしたが、ぼちぼちレコードが消えCDに変わるのかな?という時代しかもスペックで解像度が240本程度でLDは400本(解像度だけで評価するのも乱暴だし、からくりはあるが・・)あと光っているものにはかなわないということでVHDは消えていった。その後YAMAHAとかSANYO、NATIONALも
LDプレーヤーを出したがDVDがでてくると当然LDの座はDVDに明け渡し。
 その後パイオニアはDVR-1000なるDVDレコーダーを真っ先に商品化でもその機械で録画したものが他機でみれないという問題も・・その後DVR-2000で解決そたので私も使っていたがデジタルのめんどくささ、楽を痛いほど知ることに・・・

私のパイオニア歴としては3点セパレートの電磁カートリッジ付きステレオ、廉価簡易プレーヤー
ナベプロ合弁のパイオニアレコード(タイムボカン)、
ビデオ関係は飛んで初代DVDナビ(案内が毒蝮三太夫の声と次元、不二子の声とかで案内してくれるシステム付き)その後2回DVDナビを買い換えて10年前のHDDナビに・・その後は買い換えることは無いでしょうが・・
大切なこと忘れていましたが、LDプレーヤーはハード共にソフトが必要でソフトも同社から
発売されていました。そのなかで初回発売に含まれていたのではないか?と思われるソフトで
1953年東宝の”裸の大将”でその後のてなもんやの澤田氏のフジテレビ版裸の大将にも
影響を与えたと思われる最近には全く無い(制約の多い今は出来ないかもしれない)進めたい邦画
です。LD版は横長のスクリーンサイズを作品をシーンによってはパンで振ったり?してテレビサイズでも楽しめるように手が入っていますので違和感は少ないので良いです。(この地方で最後にドリフの松竹版の映画がU局で放送されたとき5人が写るときはアナモフィックレンズ使わないような顔が縦延びで何がなんだか分からない状況で放送されていましたが・・)ちなみに最後のシーンでクレージーのメンバーが新聞記者の役ででています。

2014年6月20日金曜日

サントラが売れているというのは嬉しいのだが・・・

1978年発売のSL8300だがそういえばまだβⅡという表記はされていないようだ
1979年発売のSL-J7からだろうか?
Kから始まるβの紙箱のテープは80年代にすべてプラのケースが嫌で(一番初めのSONYのVHSビデオテープも紙箱だったが・・)に変えたので捨てたので手元に残っていないと思われるが
まあそのうち探そう。


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当方ではダイレクトBOXは
BOSSのやつ、カントリーマン、BEHRINGERの2chの(ノイズ発生器モデルが多く箱がまあまあ
なので出た当時に別の回路に入れ替えて気に入っていたが今は無きものに)そして下のやつ
当然故障状態で送られ来たが交換もめんどくさいので電源の回路を作り直し
長期にわたって動作している。こいつは以外にもちゃんとしていて?トランスで信号を
アイソレートしているので変なもの?をつなぐ場合安心して使える。
ちゃんと動作する品を手に入れたらもっけものです。(これが難しい・・)
ちなみにファンタムは卓から長い距離しかも沢山の接点を通るとトラブルの元なので
SONYのファンタムボックス(これもトランス入っています。)をDIの直下に入れています。





2014年6月17日火曜日

キュー&レビュー付きベータ

βⅠ専用機のSL7300(2モーター)、VHS発売後の対抗機?βⅠ、Ⅱ機(ポーズボタン無し)SL8100(中見たこと無いのでわかりません)、タイマー付きSONYで唯一βⅠの再生が出来ない
SL8500(1モーターでローディングから全部こなしてました。)でSL-J7が出るその間に発売されたのがこれSL-8300でβⅠ、Ⅱの切り替え機でそのときの最高機種になりますが、このあとにも先にも民生機でこの機種だけの機能としてキュー&レビュー搭載!まあカセットで有名な機能なので
大体効用は想像が付くわけですが、画面が黒いのは仕方ないのですが音も”シーン”単に停止を
系由せずに早送り、巻き戻しが押せるだけ・・まあアクセスが早くなって良いのですがせめて音くらい出しても・・ということで音出るように+静止画も出るように改造(この時代のは一時停止でも絵が出ないんでSL-7300、8500も昔改造しました。)
あと一時停止が今までの直接から?ソレノイドを使った電子式?に変わったのでリモートポーズが可能となり副産物?として再生ボタンが軽くなりました。(あとテープが走行していないとピンチローラーが圧着しないのでテープ噛んだりするトラブルは減るかな?もうひとつ録画予約のときそれまでの機器はピンチローラーが圧着して待機だったので精神衛生上?気は楽になるかな?)

SLーHF900以降のテープは反転ノイズが多く互換性は辛いところです。
そうそうβ機が他のメーカーも作り始めて普及しだしたころでもSL-7300もSL-J7もβⅠで録画していたので他所でβのデッキがあるのを確認してテープ持って行っても東芝、SANYOなどSONY以外
だとβⅠの再生機能が無かったのでSONYかどうか確認の必要があった。
VHSでは名前のとおり標準モードがあったのでそういうことも無いがβはVHSが発売になって数ヵ月後意識してか2時間対応機(SL-8100(切り替え機))を発表してからSL-7300から使っていた私はβで標準というのが無くなってVHSが少しうらやましく思った。
その後周囲が全員VHSなのとステレオ録画機が欲しくなりVictorのHR-3750からVHS時代が始まります。


2014年6月13日金曜日

亀有190巻目となるとあと2年と少しで・・・

せんべえ博士の内海賢二氏がお亡くなりになってからもう一年たちました。
ネット辞書には書いてありませんがテレビ創世記のドラマから私の記憶のある中ではガンバの
ヨイショ、ビートルズのチャート一位連続記録を断ったルイ・アームストロングと同名の
鋼の・・ルイ・アームストロング、私の確認した最後は銀魂の親分の役が最後でした。
80年代のジャンプのイベントで上映された両津 勘吉もでしたがビデオででていないよなあ・・・

2014年6月1日日曜日

スカパー標準画質放送終了

忙しくて見ていなかったのだが約3時間くらい前に終了したようだ(一部ショップチャンネルは放送している)1996年の10月始めころ広告でドリフの大爆笑(大爆笑はかなり前の放送分から頑張ってビデオにとって有ったがリピートされるんなら他の録画しとけば・・・と後悔)がリピートされていることを朝知って仕事帰りに即チューナーを買い放送になんとか間に合わせたと記憶している。
その後チューナーを4台まで増えたが今ではこの2台(1台予備)で契約も1契約で済む状況なので
今後増えることは無いだろう。ちなみにどちらのチューナーも”ICHINOMIYA”の記載が一宮で作ったのだろうか?