2014年12月28日日曜日

1万人の第九とか山本直純氏の企画ですよね?

山本直純のオーケストラがやってきた!がDVDになっていたのを最近見つけた。
本当に80年代よりそういう情報が全くつかめなくて困ります。
著名なオケが来日しても最近は全くわかりません。後で気が付いてから”えーーー!”
ということが多々で・・まあそれはおいといて。
尊敬すべきものを今見れることは非常に生きていて良かった。いろいろ勉強になります。
+今夜は最高・・山本直純の回、ゲスト?泰葉氏で不良の音楽が嫌いな私はその辺りは
ノーマークでしたがさすが爆笑王のご子息!血を引いたうちで一番できるのでは・・
斉藤太郎の思いっきりテレビに出ていたと思いますが(いいとものウラは大変でしたでしょうが
あとは歴史です。)山本コータロー氏とともに気が付いたら居なくなってあとは一部コーナー担当のみのもんた氏がやってました。(11PMで小島正雄氏(楽器であそぼうピーナッツ現存するキネコタイトルバックのみカラービデオ(ビデオになっています。))がやっていたのですが急に亡くなられて大橋巨泉氏も一部のコーナーからという記憶があります。)
今夜は最高のこの回もバカと教養の中間みたいな非常に良い回でした。
さてオーケストラがやってきたですが、音楽の楽しさを求めるなら是非とも手元に・・・




SONYの2インチVTR”PV-120U”の修理を頼まれた。 写真は場所が場所だけに載せられません。
何度か見ましたがさすが業務機でメンテしやすいように作ってあり重さは分からないが前に”PV-100”を見たときは重くて動かすだけで疲れるので少し遠いが見せてもらいに行きました。
”PV-120U”は”PV-100”と同一の筐体っぽいので互換性がある様な気がしますが・・・・
(同時に2機種有った場を見たこと無いのでなんとも・・)違いは音声が2チャンネルになっているようで、音声ヘッドを見ると主映像ヘッドと垂直同期信号部分を記録するトラックの間にもうひとつのトラックで音声を記録しているようです。



鉄道の脱線試験のフィルムの中の3:11あたりにPV-120Uとソニーのスイッチャー、ワイプ、モニタ(真ん中のSONYのロゴが無いのですがCVM-20型番は20でも19型モニタ)と一緒に稼動状態の絵が見れます。

2014年12月24日水曜日

今もやっているかどうかわからないが1975年のゆく年くる年が見たくなってやっと探し出した。
この年は蒸気機関車がなくなるということで?(ほんとかよ)機関車を並べての生放送で
汽笛とオケで蛍の光を演奏するという今の連中じゃ思いつかないような凄い企画。
ちなみに指揮は山本直純氏
当然こういうのは日本テレビ製作で前のテレビのツリーと同じように違う感覚をくすぐるところ
が非常ににくい。
72年くらいからUマチックで紅白を録っていたという話を良く聞くが、全部録ろうとすると
歌を切らないように歌と歌の間にテープを交換するので1時間のテープが3本必要となる。
貨幣の価値は置いておいてもSONYのCVもUマチックも1時間定価が1万円。
まだ一般に普及する前夜です。次の年の紅白からベータが使える時代でした。






2014年12月22日月曜日

カメラに金かけるのは良く聞くが光源に凝る話はあまり聞かないな。

トランジットの為に夜立ち寄った国でクリスマスツリーのモニュメントらしいのだが
夜は点灯していて華やかに見えてぼちぼちそういう国でも店頭の隅から消えつつあるブラウン管型テレビが寂しさも手伝って思い出深い創作物だなと思って飛行機に乗る前に再度見に行ったのだが明るいとゴミ山にしか見えなくてがっかり。近寄ってみるとPANASONIC、AIWA、MITUBISHI、HITACH、SONY、JVC、TOSHIBA 、SHARP etc 見慣れたブランドが満載・・・
このころは凄かったなと思いつつブラウン管テレビと共に終わるメーカーもありでやはり寂しいところです。
たまたま外からかなり古いPANASONICのテレビが置いてある飯屋(日本でも70年代からテレビはナショナル、PANASONICと書いてあったので違和感は無かった。)があり食べる気もないのに
テレビ見たさで入っていってテレビのウラまで見せて頂いた。トランジスタ型のブラウン管が16型で
SECAMとPALの切り替えが付いていた。製造後40年は立っていると思うが営業用でまだ稼動しているのには驚かされる。PANANONICは1956年より日本からテレビを輸出して1961年には現地で乾電池の生産その後テレビも現地生産に切り替えたようです。
 ぜいたく品以外に理由として国内の産業が育たなくなるということで関税がかけられ国内の
産業が保護するというのは国の基本運営マニュアル?みたいのにあるのかないのか分からないが
・・・輸入品は現地の価格でとんでもない価格になっている+ということで日本には入ってこれなかった為に国内の産業が保護されたり(過保護にされてどうにもならない産業も多々ある。)これがよくも悪くも働き今があるのだが・・・・
 海外ブランドのオーディオでターンテーブルだけとか(BSR、DUAL、GARRADE、JOBO(これは今見ないなあ))は日本に大量に入ってきて国内メーカーのセットに組み込まれているのを良く見かけたが部品扱いだと関税が安かったのかな?


2014年12月10日水曜日

VESTAX VRX-2000


最近は廉価なVIDEOスイッチャーとか作っていたので新しい活路を見出したかに思えていたのだが
残念ながらVESTAXもお亡くなりになりました。
始めてこのブランドを知ったのが立派なカセットの8chのMTRとかを出していてその後は
DJ用のターンテーブルの双璧(TECHNICSとね)で16回転から78回転まで出せるプレーヤーとか
ダイナミックバランス型のアームもったのとか(これはうる覚えです。)極めつけはこのカッティングマシンVRX-2000知ったときは即買いに行きましたよ。(ただおいそれと売ってくれる価格と物ではなくて一応講習会みたいのがありました。)たしか渋谷のマルイまでいってそこではなくてPACOというアンテナショップを紹介されて2度ほど通って?売って頂く事に・・・・
話を聞くと冗談で(”冗談”は悪気はないです。わしの表現力の無さです。)展示会に出したら評判
が良いとのことで急遽生産に踏み切ったとか・・ただいろいろ未完成な部分があり使う者のある程度の創意工夫が無ければ難しい機械でした。
でもこの機械を発売する意味は十分にあったと思いますし、私部性がこの情報を掴んで即買いにいったくらい欲しいと思っていた商品でした。
そしてカッティングマシンの情報は後にシングル盤用をもう少し廉価でだせないかな?という記事を今際無き秋葉原センターの本屋で
立ち読みしたのが最後でした。

あとカッティングヘッドのボイスコイルぶっ飛ばしても針を飛ばしまくっても、いろいろ面倒をみてくれたり、東洋化成のカッティングルーム(ノイマンの機械で切っているところを見せていただきました。おかげでVRX-2000の改良点が明白になりました。)からプレス工場まで招待して頂いて本当にありがとうございました。


2014年12月2日火曜日

朝7:00にSANYOの3点セパレートのプレーヤーの修理を頼まれた。
若いバンドマンに頼まれてはまあできるだけ早く片付けるということで・・・
プラスチックの筐体に良くあるタイプの製品で前に見たのが40年前で
アンプはドライバーがシリコンでパワー部がゲルマで1W以下だと思います。
(写真も控えも何も取り忘れました。)
.ガリもなくカートリッジも生きていてモーターをばらして組み上げただけで動作しました。
SANYO(OTTO)は家電イメージが離れられなかったのとメディアの扱いの問題もあるが
あまり良い話は聞かなかった。私の中ではピックアップが戻るとアイドラがモーター軸(キャプスタン?)から離れてアイドラを保護する機構があったり、ステレオラジオ(AMラジオにレコード用のステレオ分のアンプが内臓されたもの)に球を節約するためにレコード時はラジオ部の球を使って
ステレオアンプとするうまい回路を使っていたり(左右でのアンプ構造は違うのだけど気にしない。)
マルチアンプ付の3点ステレオは専業メーカーより良い音を出していたり、あとブラインドテストで
他社の高価な機種を抜いて廉価なSANYO製アンプが選ばれてしまったり・・・ということもあったり。
(3Dステレオを2台のアンプ、出力トランス3台使っていたのもあったな。)