2018年12月31日月曜日

1964年東芝のステレオの革命ってなんでしたっけ?

昔東芝レコードの名古屋営業所がうちの会社の隣だったそうです。それだけで威張れます。(笑)


いろいろ資料を探しましたが残念ながら詳細わかりませんでしたが
名古屋の映画宣伝の神様がおっしゃったの
で間違いないです。
1955年以前はレコード会社はハードも作っているビクター(日産コンツェルンだったり東芝が支援してた時期もあり)コロムビア(日立と・・・新聞見なくともてんとう虫プレーヤーが日立から出たり、コロムビアの電源コードが日立のだったりとか・・)
東芝もその仲間(電蓄等はレコード事業と並行して・・)なのですが、レコードのあたり具合?に対して再生機器等気がないのがひしひしと・・(最初のメンテした機器はアンサンブルステレオでガラードのチェンジャーが付いていてどうでもよさげな感じでした。)
ボストンシリーズとか3点ステレオとか出力がステレオ逆位相で出てくるカートリッジ
とかいろいろあったのですが引っかかりませんでした。
 さてレコードに話を戻すと東芝は渡辺プロダクションの原盤権のビジネスの最初の
 植木等(ハナ肇とクレージーキャッツ)スーダラ節(JP-1300 1961年8月20日店頭出荷名古屋のパチンコ屋でかかって売れ出した説があるが真意はともかく好意的にみとこう)で結果が出たのでその後の邦盤の新しいビジネスがひろがったり、レコードが
赤かったり、九重 佑三子のネイビーブルーがダブリングやっていたりドラムのマイクの位置がそれまでと違ったり、シングルが昭和39年TP-1000番台でやっとステレオになったり
コンパクト盤がモノラルの曲がステレオ化されていたり(ビートルズもステレオ化、帰ってきたヨッパライはモノ)
坂本九の東京五輪音頭、ドリフの真っ赤な封筒がシングル盤とテイクが違ったりアレンジが違ったり、五万節が差し替えられたり、あと洋楽でのベンチャーズのライブ盤その時分のスプートニクス、アストロノウツ等エレキバンドの録音はオンマイクではないのですが東芝の2枚目のライブまで飛びぬけて出来が良い。(その後はステレオ感を出そうとしたのかマイクの位置が良くなくちょっと残念)あとシャドゥズもありのルイアームストロングの良さげな時期のレコードあったり、
隣で全盛時代の東芝レコードが埋まっているのではと考えただけでも楽しいものです。
そんなはずねえよ
あと作詞河野洋(放送作家)作曲:斎藤太郎(NTVディレクター)編曲:前田憲男(音楽家先日お亡くなりになりました。)NTVの九ちゃんからの企画でしょうか?

スタジオライブの様相な録音で失敗した演も録音に入っています。(演出上台本にあった?NTVのできるディレクターが噛んでいるので、そりゃあ計算上でしょう。)
最後だけフルバンドが入って盛り上がって終わるっていうショー的な方法はお手本に
しようと思っていますが私なんか貧乏性なのでガンガン鳴らしてしまうのは良くないです。
そうこれはタイトル変更されて2種類のジャケが存在します。
 ”九ちゃん”スポンサーからは万博まで視聴率が悪くても続けてくれという株主に頭が上がらない
(もしかすると株主もそんなに・・じゃなかったかも)今では考えられない状況で
したが、一二の九にタイトルが変わり公開バラエティからスタジオ製作に変わってひと月くらいで良くわからない理由?(マナセプロダクションと日本テレビのボタンとのアレで)で番組は半年で終了。残念ですが日本のミュージカルショーのお手本となる番組は無くなってしまいます。(最終回はラフ・インをお手本とした。(まだ作者も誰も見ていないはずですが・・記録に残っているので)半年後放映されるゲバゲバ90分の元的な回という記録が残ってます。

東芝レコードの歴史

1953年12月 東京芝浦電気(株)、英国EMIと原盤契約。
1954年 4月 グラモフォン建設部設置。工場準備にかかる
1955年 8月 レコード事業部新設
1955年 9月 エンジェルレコードの SP,EP、LP盤発売
1957年 8月 自主録音制作による邦盤レコード発売
1958年 4月 山下敬次郎”ダイアナ”某オクで談志師匠の遺品でANGEL盤が
       拝めました。 キング平尾昌章盤より1月先に発売30万枚販売
     6月 東芝・渡辺プロダクション提携の披露パーティー開催
       (これはその後効いてきます)
    12月 帯電防止レコードエバークリーン盤発売。(RED MAXじゃありませんよ)
        東芝レコード名義のレコード発売
1959年 3月 ステレオレコード発売
1960年 10月 朝日ソノプレス社との間でシートレコード制作提携
1960年    東京芝浦電気より営業謙譲で東芝音楽工業(株)設立。
     12月 営業開始
1961年  4月 東芝音工より東芝フォノブック発売
     7月 東芝音工に米キャピトルレコード社資本参加
     8月20日 渡辺プロダクションが原盤権をもつスーダラ節発売
1966年 11月 東芝音工、永田町にスタジオ完成
1969年  4月 東芝レコード(株)設立
1973年  10月 社名を東芝EMIと改称
ここまででしょうか。
AMAZONビデオで1回から50回までのサザエさんが見れます。がオープニングの東芝はカットされていました。が、茶の間のテレビがうちにあったのと同型の東芝のカラーテレビでした。その後1975年くらいにマイナーチェンジしたのに代わってテレビのステレオ放送が始まるくらいにステレオ放送対応テレビに変わってけっこう長かったような・・
今見ても面白いので正月はこれで過ごします。




2018年11月27日火曜日

九ちゃん、ゲバゲバ90分、シャボン玉ホリデー等日本テレビバラエティ他の
音楽を担当された前田憲男氏がお亡くなりになりました。
最近まで精力的にコンサートをなされていたようで残念です。
題名のない音楽会で黛氏が”この三人が乗った飛行機が落ちたら日本の音楽は
とんでもない状況(省略)・・・になる”と紹介していた2人が亡くなってしまったのは
さびしいことです

2018年11月24日土曜日

九ちゃん音頭

かにウィルスの仕事でてんてこ舞いでした。 オリンピックと万博 亀有公園前派出所のネタがリアルに なることが多くて怖いです。 笑いというのが本当にやりにくい難しい時代になりました。

2018年11月1日木曜日

GANDCRAB V5.0.2 その2

約8時間で2TBくらい処理できた。 プログラムがまだ問題があるためか数個のファイルが 復元できない。 のだったが 拡張子変更の処理が間違っていて通らないものがあった。 とりあえず依頼分は終了。

2018年10月30日火曜日

GANDCRAB V5.0.2 その1

GANDCRAB V5.0.2 お客様からの依頼でカニと格闘してました。(笑) とりあえずHDD二台のファイル修復が終わりました。

2018年9月13日木曜日

DOLBY博士がお亡くなりになりました。

AMPEXのビデオレコーダーVR-1000の開発にも絡んでいたそうで 世代的にはコンパクトカセットレコーダーのノイズリダクションドルビーBタイプが 有名なのではないでしょうか?カセットデッキ、レコーダーの購入時の条件として 交流バイアス(当たり前か・・)ステレオ対応、手動レベルコントロール、RCAジャックの 入出力、4段テープセレクター(ノーマルからメタルまで)そしてドルビーノイズリダクションが条件で選んでいた時期がありました。 ドルビーサラウンドは思いつきますが、カセットの付属機能は忘れられる時代になりました。 ご冥福をお祈りします。

2018年8月12日日曜日

当社制作のシステムで使用契約をした会社が倒産して行方知れずになっていた機体の
現在の関西の所有者から使えるようにならないかとの依頼。
細かい詳細は省くがまだ当時のPCは今普及しているネットワーク機能が無く
ハードディスクのデータを共有するために多ピンのHDDケーブルがHDDから
PCに5本(5台のPCでHDDが共有できる。)ケーブルが出ているものものしい
機器だが当時はOSもそういう機能を保有していなかったので苦労も多かった。
その機器は20MBのHDDとエプソンの98互換機、
ドット欠けなくBrotherのドットインパクトプリンタがそれまで働いていたことが驚きでした。
大した故障ではなかったので部品探しにそのまま日本橋に出かけた。
新宮から北上でマルチ音源の出来のいいデモを見て即購入したソフマップも
明電工業もオープンリールのテープを最後まで売っていた店も階段の途中に局用機とか飾っていたスーパービデオも何か違う色の店に、でもシリコンハウスとデジットは健在
レジでの会計で抵抗のカラーコードを読み上げて会計をしている場面に遭遇
今まで自分が購入していた店でそういう店員さんは居ませんでした。
そういう配慮は少しとても嬉しいです。

 とりあえず修理後に今保守可能なシステムをお勧めして家路に。


2018年7月26日木曜日

キネコ再生用16mm映写機

https://oysrecords.blogspot.jp/2015/04/elmo-sp-cdsv-11.html
多量のキネコが持ち込まれて内容の確認をと思っていた矢先に光学トラック用のエキサイターランプが切れた。調べるとスペアが安易に手に入りそうもない状況のようだ
某オクで状況のわからないランプを購入するのもなにか気が引ける。

 あと前からやらなければいけないと思っていたのだが、光学トラックのハムが気になるので平滑コンデンサーを増やす手もあるのだが電源投入時にトランス等他に負荷がかかるのはイヤなので小型のスイッチングモジュールで平滑化・・と考えていたが映写機益咲いたーランプ電源はブリッジダイオードと3300μF×2と巻線抵抗で直流を作っているもので4Vが出てくる仕様らしいのだが4Vから4Vは厳しい。

適当な平滑に使えそうなスイッチングモジュールが見つからずに挫折。

とりあえずフィルムのチェックから。TV局の噛んでる?フィルムは(リバーサルフィルムあるいはGPL録画機等(電気的に反転させれば価格の安い普通のフィルムが使えた・・という話を聞いた記憶がありますが・・後で確認します。)ネガの状況で見たことが無く
このフィルムは35mmカメラのように白と黒が反転していた。
 まあとりあえず今思いつくことはPCでも反転処理ができるし、アナログで回路組んでも
そんなに手間はかからない。
簡易的なテレシネで絵だけ取り込んだが解像度が低すぎて反転してみても詳細が
良くわからない。奥にうずもれているテレシネ機を作業所をふさいでいるフィルムを
退けて作業するしかないです。

ウェスタンカーニバルの映像ばりのライブステージから

引きづり降ろされようなシーンがあったりするが時代的にはボーカルなさそうなので
The Ventures,エレキバンド時代のステージだろうか?尺が長いので数本確認して終了。



そういえば大容量コンデンサーが製品化される以前の
エキサイターランプは直流点火ではなく真空管で可聴帯域外の周波数を発信させてそれで
ドライブしていたようだ。これならハムは出ない。まあスイッチング電源も同じような
原理のようだ。最近の案件でRCA製の日本で放送が始まる以前のテレビの回路をずっと眺めているが、真空管が22球あったものが、実用になるか分からないが13球で複合管、セレン、ダイオード等の製品化と回路の工夫で部品点数が減っていく様がみられます。
(技術誌で10球でテレビを・・みたいな企画があったりしました。こういう思いつかない企画は(コンデンサーマイクをアルミの棒を削るところから始める等)毎号楽しみでした。)

2018年7月20日金曜日

常田富士夫氏がお亡くなりになりました。

ゲバゲバのオープニングで池に落ちるシーンは素晴らしいです。
カリキュラマシーン、ゲバゲバはDVDになっているのでご購入をお勧めです。




故藤村俊二氏も故常田富士夫氏もバラエティ(他分野の専門家がコメディをやる等、決して今のテレビではない)に対応できた方々でした。
ご冥福をお祈りします。

2018年5月2日水曜日

SHUREがカートリッジ夏で生産終了するようで

レコード扱っているとカートリッジも自然に増えていきSHUREではM44,M35(針を78用でM44も78ようの針が探すとあるようです。)あとV15を使っていたことがあったが
引っ越しやなにかで古いM44しか残っていない。
レコードが・・・とメディアでは踊っているがプレーヤーが売っているのかわからない
あと、こんなもの(うれそうもないなあ・・・)まで・・というのが製造されているのも
よくわからない。カートリッジもレコード(音楽)も過去の資産でどうにかするしかないかな



2018年4月17日火曜日

韓国では2017年5月31日から地上波の4K放送が行われているようです。
日本はデジタルモノは思いつくのはMP3プレーヤー位から負けどおしの後追いでBSの今のビットレート解像度を落として4Kを入れ込む様だ。となるとBSデジタルは画質が落ちるんでなんでまた感満載だが・・・


そういやNTSCの規格ホームビデオの解像度が約240本程度で私は文句ない。
画面が大きくなると解像度が低いと・・という話はあるがだいたいデカイ画面は離れてみるので細かいころはわからないし・・(自宅の140インチも4mくらい離れるので気にならない。海外でPAL方式だがビデオCDを上映している映画館で1500名規模で画面はでかい(昔ながらの映写室に入れてもらったが古い35mmは隅に、日立の小さなプロジェクターと民生用のVCDプレーヤーで映写していた。画面の大きさは聞いたが忘れた。)のだが客席から離れているので気にならない)
手術等の記録用とか工業用ならわかるが、飲食店に入るタダで食わせてもらうスタッフの番組とか公共の福祉に反するアニメ番組ばっかでどうすんでしょう。とはいっても良くないものは昔も今も需要があるから成立するのでしょうが。

私はアニメ100本が1枚のブルーレイに入るレートの画質でOKです。

2018年4月16日月曜日

VictorのOEMをGUYATONE(東京サウンド)がやっていた様な気がします。

機種名は書けませんが出先の修理依頼でVICTORの中身が前に見た記憶のあるGUYATONE製品と同一GUYATONEの販売力からするとVICTOR(もしかすると第三のメーカーが存在?)の製品を買ってGUYATONEブランドで販売するメリットは無さそうだとすると・・・

意外と家はOEM販売はやっていませんとうたっているメーカーもやっている場合を
海外で良く見ます。

2018年4月14日土曜日

2インチVTRのステレオ音声 3 ステレオ放送

アナログテレビのステレオ音声は1969年7月教育テレビ(3ch)で試験放送の後
12月に総合テレビ(1,2ch)東京と大阪で試験放送が行われたようだ。
FMラジオ放送ならではのモノラル受信機はL+Rで聞こえるという互換性のとり方だと
普及しているモノラル受信機だと2ヶ国語放送だと混じって聞こえるのは問題なので
FM-FM方式となっている。(昭和39年に実験放送協議会でSSB-FM方式も検討されたようです。)

2018年4月9日月曜日

2インチVTRのステレオ音声 2

ここに2インチの音声のことが書いてあるとメールを頂いた。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/itej1978/34/4/34_4_296/_pdf/-char/ja
オーディオカセットとかβ、VHSのリニア音声のようなモノでもステレオでも互換性
がとり易そうなトラックを二分割のものが規格らしい。
そういえば統一型VTRもステレオの規格があって東芝から1機種のみでていたが
いつのまにかステレオの仕様は規格から消えていたような・・

2018年4月8日日曜日

2インチVTRのステレオ音声 1

2インチVTRは音声がモノのみなのでステレオ対応の1インチに変わったみたいな話が多いのだが、2インチ時代の
1970年5月の越路吹雪の日生劇場でのライブのビデオは音声がステレオになっている。
もう少し前になるがゲバゲバのBGMがステレオで収録されていたりで謎が多々あるのだが
(テスト放送は万博番組を2カ国語とかあったようだ(Pioneer TVX-90それ以外のチューナーは聞いたことがない)1978年テレビのステレオ放送がとりあえず始まる(始まったのだが、アニメ等ステレオ化されたがすぐにモノに戻ったりビデオもステレオ対応機種はメーカーに1機種あれば上等の時代(これを買うしかなかったが・・))
さて越路吹雪のビデオのステレオ音声だが(そういやVenturesのライブはさすが東芝で強引に手動のテープのスピード調整で(同録の音声ではないものも)ステレオテープにフィルムを同期させている。(ピッチが変わるとか文句言わずにぜひ買おう音楽の楽しいところは十分入っているので)という風ではなくてビデオ(ローバンドだろうか?カメラの感度の問題だろうか?解像度がちょいと低いが、ちゃんと同期している。)

フィルムでの音声同期システムがあったのでその応用かSMPTEタイムコードで同期(1970年規格化なのでどうか?もしかするともう少し後かもしれないが日立電子の2インチテープで絵は二分の一で残りは4chの音声+キュートラックといったMAの元祖みたいなVTRで音を収録し通常の2インチVTRで同期か?)と考えていたが、
2インチで2chの音声を記録できるVTRがあったのを当時を知っている人から聞いたのだが
磁気記録の音声は波長が長いのでテープの深いところに記録されるが映像波長が短いので
表面に記録されるというのを利用(後のVHSのハイファイ見たな感じ?)してステレオ音声が得られるのがあったような話を聞いた。
トラックパターンと音声はリニアか回転ヘッドでFM記録(HIFI音声の特許は日立が持っていたような気が・・)か詳細は全くわからない。



2018年4月2日月曜日

MM型カートリッジはSHUREのBenjamin B. Bauerが1957年4月8日にアメリカ(特許番号3055988)で特許を出願している。その後1963年2月12日に(特許番号3077521)ステレオカートリッジの特許が成立下と思うのだがELACも同日に連番で特許成立という話があるが(特許番号3077522)はSHUREになっており、よくわからない。
 問題の日本ではSHUREの特許が成立していなかったのでMM型は自由に製造できたそうなので、私が思い込んでいたクリスタル、セラミック等のカートリッジでコンプライアンスの高くて低出力の新製品が多かったのはMM型の特許の問題ではなさそうです。
 ただ、海外に輸出する場合MM型はアウト(特許料を払わねば・・)でオーディオテクニカ等のVM型かVICTORのMI型?か圧電でなければ・・・ということと海外への輸出が増え始める60年中期各社新たな圧電形を作っていったのでは?
このへんももっと調べないとわかりませんが・・・・

https://oysrecords.blogspot.jp/2013/10/ceramic-cartridges.html

2018年2月25日日曜日

ビデオの存在確認の問い合わせで知りましたが、
左とん左氏がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。